2012年09月30日

映画になりたい/蛇口

中学二年の時、「地獄の黙示録」と「未知との遭遇」を映画館で観てから
映画は俺の生活の中心になった
特にアメリカンニューシネマは衝撃的で、冴えないありのままの自分を
こんなにも正直にさらけ出していいのだと勇気付けられた
そしてもろ影響を受けたシナリオを十代のときに書いたりした
十代の終わりは両村上(春樹・龍)がデビューしたばかりの頃で
両者の小説も貪るように読んだ
でも一番好きだったのは池田満寿夫の小説(エッセイ)だった
彼の、トイレで初めてオナニーするエピソードなど、そのあけすけな世界は
アメリカンニューシネマに通ずる真摯で滑稽な味わいがあり、非常に好感を持てた
当時、周囲にいた映画監督や小説家志望の知り合いには嫌悪感を抱いていた
描きたい物語があって、結果、映画や小説になるのであって
ただ映画監督や小説家になりたいというのは
駄々をこねてるだけで邪道だと思っていた
大学を卒業すると親に金を出してもらい
東京の四谷にあった映像の学校に通い
映画好きに囲まれて過ごした
学校ではカメラの使い方や照明について学んだが
あまり興味がわかず、自分は映画をつくりたい訳ではなく
映画そのものになりたいのだなと思ったりした
その後、温室育ちを卒業しようと、六年間会社員をやった
30歳のときに仕事を辞め
アルバイトをしながら本格的な自主映画を撮影しようと
雑誌で人を集めたが、やることなすことすべて裏目で
映画は完成しなかった
住所録の映画関係者の名前と電話番号を全部黒のマジックで消していった
こんなにも愛した映画に裏切られたと、しばらく映画を見なかった

今もシナリオを書いている
自分がシナリオで描く映像を見てみたい
二十歳のときのシナリオをまた書き直したりしていて
構想三十年の映画ができそうだ
posted by jagumi at 18:39| Comment(0) | 蛇口 | 更新情報をチェックする

2012年09月29日

夢/馬野ミキ

中学二年の時、ゲームデザイナーと歌手で迷って歌手になろうと決めた
歌うという行為には、単なる趣味、好き以上のものを感じていた
雑司が谷に住んでいた頃、雨になると近くの歩道橋の上に歌いに行った
大声で歌っても誰にも聞こえないからだ
パンクロックがただちに世界を変えはしないということをライブハウスで直感的に悟り
ライヒやフロムなどの現代社会に対する批判と革命運動について興味を持ち、池袋のリブロでニューサイエンスを少しかじったりした
思い込みが激しく自信に満ち溢れ理想家で、けれど打たれ弱く、言い訳がましく、甘ったれていたと思う
空想と依存癖
まあ今でも多少そうか。

性格的にバンドか組めず、池袋東口でべろべろに酔っ払いながらフォークギターを持ち路上歌手デビューした
プライドが高いので通行人にほぼ無視され続ける路上の歌歌いの生活は厳しかったが
同じように地方であぶれ東京に出てきた音楽仲間と出会ったり
バブルの頃は一日5000円くらいの稼ぎがあったのでもう仕事を辞め歌だけで暮らせた
今はタクシーが溜まっているところには以前公園があり、路上で暮らしながら投げ銭を銀行に貯金してたりしてた
路上と音楽と酒の日々だった
新宿のコマ前で9万稼いだこともある
新宿に行けば知った顔が必ずいる そういう時代があった
ああいうその日暮らしの旅人のような生活は今でも憧れるな
ギターを持って世界を気ままに旅できたら楽しいだろう
その後、禅やタオ、ニューエイジ思想にハマりながら、ブルースからJAZZ、沖縄民謡へと音楽の幅も広げた
東中野の俺の家には新宿で知り合った家出少年たちが住み着いたりしていた
俺は部屋に鍵をかけなかった

今でも夢は、世界を変えること
無職のおっさんが「夢は世界を変えること」とか言うとホント怪しいので、(幸か不幸か俺にはそいう客観性はある)まあ10年後の日本の自殺者の数を下げるでもいいよ、なんでもいいんだよ 自分の存在に見合うことをガツンと咲かすことできれば。



posted by jagumi at 23:36| Comment(2) | 馬野ミキ | 更新情報をチェックする

2006年の憎悪/蛇口

2006年に愛し合っていた世界中の全ての恋人たちを俺は憎悪している


その年、俺は家族と病院の医者以外、誰とも会わなかった
父親と一緒に病院や公園に行く以外、ずっと実家に籠もっていた
東京に遊びに行くなど論外だった
人が多い場所は刺激が強すぎて、また発狂すると医者に言われた
毎日、俺は強い安定剤を服用し、朦朧とした一日を送っていた

電話では誰かと話をしたかもしれない
電話口で
働いたり、飲みに行ったり、ライブに参加したり、旅をしたりしている他者の
愉しげな息遣いをそこに感じて、心底、羨ましかった

2005年の11月に俺は二度目の入院をした
警察官に保護されたとき、俺は完全に狂人だった
両親は獣のような俺を恐れた
これまでの俺の社会復帰への応援から親は180度発想を転換し
俺以外の家族の幸せのために
俺がただおとなしく何もしないでいてくれることを願うようになった

母親は俺に言った
外に出るとあんたは何をしでかすかわからんから、家にずっといて
父親は俺に言った
お前のせいで母さんは老けたよ、もう迷惑かけるな、家にいろ

そのときに実家を飛び出るという選択肢もあった
しかし俺はキチガイの優等生だった

2006年は雨が降る日以外は毎日、父親と近くの農林公園を散歩した
公園を大きく円を描くようにぐるりと一周して、それを一時間続けた
俺の目の前を父親が歩く
足元の石で父親を破壊したら、車がやってきて、俺を正しい世界に連れ戻してくれると妄想し
父親を殺そうかなと思った
蝉が俺の首にぶつかってきて、俺は少し冷静になった

2006年、二十歳のあの夜を何度も思い出した
それまで忘れていたのに
渋谷のラブホテル
何もしないで俺は彼女よりも先に眠ってしまい、ふられてしまった
あの時、ちゃんと愛し合っていたら、こんな2006年はなかったのではないか

2007年2月、母親がアメリカに住む娘の出産の手伝いに渡米し
父親がスキーの合宿で長野に行き、俺は独りの夜をひさしぶりに手に入れた
俺は親に黙って外出した
およそ一年半振りの夜の新宿歌舞伎町
街がキラキラしていて眩しかった
ざわついた2006年の街を俺はやっと彷徨えたような気がして無性にうれしかった
posted by jagumi at 14:19| Comment(0) | 蛇口 | 更新情報をチェックする

2012年09月28日

雑司が谷霊園/馬野ミキ

池袋を東口から出て大通りをまっすぐ護国寺方面へ15分ほど歩き
都電荒川線に沿って右手に歩いてくと雑司が谷霊園という巨大な墓地がある
夏目漱石や小泉八雲、竹久夢二なんかも眠ってる
そこで数ヶ月前、夏がくる前くらいだっただろうか
蛇口くんと待ち合わせをした
熊谷くんだりから東京に出てくる際にはそうしてたまに連絡をくれる。

蛇口くんはマントをはおって映画の撮影をしていた
広野くんの活弁映画にまた出るのかなと思ったら違って
早稲田のカフェバー主催の自主映画に主演で出るのだという。
蛇口くんはマントをなびかせ、墓地を飛んだり跳ねたりしていた
俺は墓場の影でパック酒を飲んでそれを見ていた
近所の人たちが犬を連れて散歩したりジョギングしたりしている
墓場ではあるが、文化人や芸術家が多く眠っているせいかこういった撮影にも寛容らしい
俺も飛び入りで土木作業員の役で出演した
それから二人で昼から飲める酒場へと西口に向かって歩いた


16で上京した時、雑司が谷に住んでいた
都電のホームのすぐ横
3畳二間という変わった間取り
ねずみが出て、ねずみホイホイを仕掛けたら蛆が湧いたりした
今は駐車場になっているな 大家さんは元気だろうか。

時はバンドブームで、いわゆる歌謡曲がチャートから追い出され
その後J-POPという訳の分からない言葉で音楽業界が再編されるまで
俺も一人の若者としてそのムーブメントの中心にいたような気がしたが
たよってきた東京のバンドを脱退し
シンナーを吸ってライブハウスへ行き
ライプハウスのパンクバンドは居酒屋で女としゃべってセックスしてるだけじゃないのかと
どうやったら本当に世界が変わるだろうかと
友達を作ることもなく
一人ぼっちに、明け暮れた。
日比谷野音でライブをやった後に国会議事堂を包囲するルートを調べたり
空想の競馬新聞を作り、空想の競走馬を競わせたりしていた

東京はまだ今より大きく
とても俺の手に負えるようなものではなかったと思う
思い込みと被害妄想と社会に対する怒りと理由のない自信、そういうものがごった煮になり攻めぎ合っていた
バイトは転々としたが当時は無職という発想が無く、よくがんばったなと思う
もちろん常に職場には多大な迷惑をかけたが・・
4月に上京し、9月に新宿で銃刀法で逮捕された
俺はナイフを持っていた
背中に自筆の文字で反米愛国と書いといたので駅構内で職務質問されたのだ
俺は留置場で小山ゆうの漫画を読んだ
逮捕されると、もうがんばらなくていいので気が楽になった。
















posted by jagumi at 20:53| Comment(0) | 馬野ミキ | 更新情報をチェックする

スイートルーム/蛇口

俺が人生でヤりまくった女は一人だけだ
(彼女とは一年くらい続いた
 これが俺の最長記録だ
 短いよね)
ほとんどの女は一回だけ
一度は数にならないという言葉があるから
俺の体験人数は四人しかいないことになる
実際にヤらなかった(ヤらせてもらえなかった)女は無数にいる
その中でも一緒にバリ島まで行って
ヤらせてくれなかった女がいた
旅費も全部こっちが払って
スイートルームまで用意したのに
バリ島に行きたいと言うから
てっきりヤらせてくれると思ったが
甘かった
現地で
断固拒否された
そんなに俺は不味そうなのか

バリ島旅行のあと
その女とは疎遠になった
その半年後、俺は詩の朗読会に足を踏み入れた
posted by jagumi at 18:42| Comment(0) | 蛇口 | 更新情報をチェックする

米子、倉吉、東京/馬野ミキ

当時、米子の大学病院に一ヶ月半試験入院した
一緒に来た母は閉鎖病棟の雰囲気と隔離された部屋から聞こえる雄叫びに、困惑を隠せなかったが俺はうまくやれる自信があったし何より母の元から離れられる喜びが大きかった
中庭にはギターを弾く青年がいたし、俺も人差しでオルガンを弾いたりした
許可さえ貰えれば外出できたので市営球場に忍び込んでピッチャーマウンドに立ったりした
脳内から歓声が聞こえる
俺は甲子園を期待されるエースだ。
ホームページのファンだという人が見舞いに来たりした
病院の裏にある水鳥公園でガチョウが俺の膝にくちばしをのせてきたのは奇跡的な出来事だった
そこのガチョウ、こっちに来てくちばしを俺にのせてくれ、と頭で命じたらガチョウがそうしたので少し涙が出た
ガチョウは30秒くらい俺の膝にくちばしをのせていた
俺はガチョウを驚かさないように座ったまま静止していた。

退院し、倉吉に戻りRちゃんという小中の同級生とつきあった
つきあったというか、Rちゃんは結婚のために東京での仕事を辞め帰郷しているところだった
一ヶ月後かに九州に嫁ぎに行くという
嫁ぎに行くまでの間、俺たちはヤりまくった
近くの高校に忍び込んでやったり母の目を盗んでやったり鳥取砂丘の近くでやったりした 
Rちゃんは結婚前に何をしていているんだろうか

でも、結婚前の友達とセックスをする。これはなかなかいいかも知れない。
情緒がある
青春映画っぽいな。

それから半年か一年、自分はオンラインゲームに明け暮れ
そのゲームで得た財産を現金に換金した25,000円だけ持って四度目の上京を果たし
その半年後には、はじめての詩の朗読会を主催することになる。





posted by jagumi at 16:05| Comment(0) | 馬野ミキ | 更新情報をチェックする

発病/蛇口

9.11テロの映像をテレビで観ると
幸せな気分になる
当時
36歳の俺は
新聞に書いてあった千人以上の大企業の平均年収くらいを稼ぎ
新宿歌舞伎町で湯水のようにお金を使っていた
まあ自慢話と言うか比較的恵まれたサラリーマン人生と言うか
かなり浮かれていた

9.11
俺はまだ発病していなかった


翌年一月五日
俺は錯乱状態になって警察官に取り押さえられ
翌日、精神病院に措置入院した


9.11、3.11でなく
1.5
忘れられない日

それからいろんなことがあった



証明写真ボックスで爆笑している顔と激怒している顔を撮影して
鋏で切って貼り合わせ
顔半分は笑い顔半分は怒りの顔を履歴書に貼って
企業面接に行っていた
面接官に今の俺の気持ちを解ってもらいたかった
その当時の俺の
なにもかも笑い飛ばしてしまいたかったし、なによりも怒りが収まらなかった
面接官はただただ当惑していた


女性をクンニしていて
舌が異常なスピードで動いて
こんなの初めてと自分でもびっくりして
女が感じているようで
普段はクンニは苦手なのだが
そのときは楽しくて永遠にできそうで
笑いが止まらなくなって息が苦しくなった


車を携帯電話のカメラで撮影するのが楽しくなったときは
夜の車道に飛び出しては走行してくる車を撮影していて
何度か轢かれそうになって
そうしたら知らない女性が
私を今撮影しませんでしたか?と突然俺の前に飛び出してきて
その鬼気迫る姿に
彼女に轢かれるのかと真剣に怖かった
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2012年09月27日

倉吉、高円寺/馬野ミキ

鳥取県の中部に倉吉市はある
そこで小学一年から上京する16歳までと
東京での暮らしに挫折し帰郷した数年を暮らした。
高円寺で覚せい剤をやりながら当時同棲していた彼女に生活費をすべて出してもらっていた
天国のような暮らしだったし、一番好きな女の子だった
だが俺は、歌を歌わなくなった

彼女が足立区の実家に帰るようになり俺は日銭を郵便局の口座に送ってもらうような生活をしていた
彼女は高円寺に帰ってこないだろうと思った
乞食になるべきか自殺すべきか
もし路上で生活するならここに住もうと決めていたところが新宿東口にあった
そこに下見に行った
(今現在もここはとっておきの新宿の隠れ家である。読者の方で見てみたいという方がおれればいつか案内しよう)
夜の建築現場を見つめる
あそこから俺は飛び降りられるだろうか


俺は乞食も自殺も出来ず、田舎に帰ることに決めた
人生ではじめての敗北であった


さんざんわがままを言って東京へ行った手前、帰ってすぐに職を見つけ働いた
工場での機械オペレーターだ
シフト制で月の半分は12時間勤務だった
夜中に一人でいる時は機械を蹴ったりして半年でやめた

当時の救いはインターネットであった
ウインドウズ98が出た頃で俺はホームページを作り、チャットをし、オンラインゲームにのめりこんだ
なにぶん田舎のなもので、いい大人が仕事もしないで家にいるというのは相当風当たりがきつかった
近所の人の目を盗んでコンビニに行く そういう感じ
(このあたり東京の無関心さはとても楽だ)
ちなみにいまの嫁さんは、当時俺が作っていたホームページのファンであった

薬を過剰に摂取し救急車で運ばれたり
沖縄のペンションにバイトに出かけ部屋でマジックマッシュルームをやり一日で帰ってきたり
倉吉駅でワンカップを叩き割り駅前交番のおまわりさんに抱えられたのはこの頃だ。
当時、パソコンのエロフォルダには青木裕子や酒井若菜、優香などがあった。
画像をダウンロードし、名前をつけて保存することによって1つのケリをつけていた。









posted by jagumi at 18:35| Comment(0) | 馬野ミキ | 更新情報をチェックする

荒川大橋/蛇口

熊谷市の実家に両親と住むようになって七年目になるが
家で夕飯を食べた後に外出したことが一度もない
ギネスブックに申請してみようかな
夜にふらっとどっかに出掛けたりしない、の
新記録かも

新宿から一時間二十分電車に乗って家に帰る
終電で熊谷に着くと午後一時近い
駅から家まで自転車でまだ二十分かかる
なかなか家に着かない
途中、荒川を越える
荒川大橋を自転車で渡っているとき、遠いなと感じるときがある
疲れているときとか
何でこんなところに住んでるんだよ、とか
ぶつぶつ文句を言いながら自転車を漕ぐ
地獄がもし仮にあるとして、それが
永遠に続く橋の上を自転車で進むことだったら嫌だなと思う
これまでの小さな悪事が積み重なって
あとひとつで実は地獄行き決定で
それがこの前の自転車で走行中に
荒川にぺっと口からガムを吐き出した瞬間だったら嫌だなとも思う
posted by jagumi at 13:41| Comment(0) | 蛇口 | 更新情報をチェックする

2012年09月26日

新宿西口/馬野ミキ

昨日、病院の帰りに新宿西口に寄ったら
5時から自民党の総裁選の為の演説があるらしく
たくさんの警察官、たくさんの黒い服の男たち、候補者ののぼりが風にゆらめき物々しい雰囲気だった
俺はいつもの煙草を吸う場所が立入禁止になっていたので少しいらっとした
何人かの警官や黒いスーツの男と目が合う
たぶん俺が見ているからだろう
あわせて、坊主頭で上下作業着なので少しは怪しいかもしれない
愛国一人
という言葉が浮かんだ
三島由紀夫はどんな気持ちで市ヶ谷に行っただろう
東京モード学園は何を発信するか

行き交う人々
群衆と警官たち
拡声器の声だけが無機質に新宿に広がり
風景がぼやけていく
俺は一人で
心臓が高鳴ってる
俺はポケットにいまナイフを持っていて
これから総裁候補を刺しにいくのかもしれない
むしゃくしゃしてやった
意味不明な供述をしている
犯人は精神科通院中だった、と週刊誌に書かれるのかも知れない

おれはポケットを確かめる
ナイフは無い
そりゃそうだ。

俺は京王デパートのわきを抜け大江戸線へ向かった
後ろを歩いているやつに尾行されてる気分だ
でもねただ、保育園に子どもを迎えにいくだけなんだよ






posted by jagumi at 19:05| Comment(0) | 馬野ミキ | 更新情報をチェックする

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