2012年09月20日

十代の頃の友達/馬野ミキ

十代の頃「なぜ友達の恋人とセックスしてはいけないのか?」という問いを出されても
俺はたぶんピンとこなかったと思う
セックスを避けていたところがあったし、友達の概念があいまいだった
自分と世界の関係性がまだ定まっていない十代の頃というのは、世間や周りの影響をむきだしの感性でモロに受け、正直いろいろなことがよくわからないのである。
分からないということは、恥ずかしいことではなく成長途上故に未定義なのだ。
分からないということは、可能性の幅を広げている時期だとも言える。
十代の頃「なぜ友達の恋人とセックスしてはいけないのか?」と問われて
ただ何となくそれは悪いことであるという風潮は感じ取っていたかも知れない
ただそれは自分の意見というわけではなく、週刊少年ジャンプに描かれていることを鵜呑みにしたか
社会を牛耳っていた大人たちの意見を感じて見習ったに過ぎない。

大学はまた別として、中学や高校の友達というのは
ものの考え方や世界観で集まったグループではなく
ただそこに住んでいる地域の同い年の奴が寄り集まっているというだけなので
親友というものができなくても心配することはない。
十代の子に告げよう。友達がいなくても恥じることはない。
自分は割りと友達はいたほうだと思うが、それでも東京に出てきて
志や目的意識、或いは魂や存在そのものというようなところで共鳴しあう友達ができ始めると
学校に行っていた頃遊んでいた友達というものは、何だったのだろうかと思う。
自分が当時知っていた世界のなかでの、比較的に気のあった奴ら、といった感じかも知れないな
それでも価値観や趣味がまったく合ってないのに一緒につるめるというのは、大人になってからはそうそう無いことなので貴重だったのかもなとか今思った。

蛇口君が以前SNS、ソーシャルネットワークについて言及していたことがあったが
ツイッターとかあれ、つぶやきとか言いながらみんなに読んで欲しいとか厚かましいよな
あきらかに独り言じゃないだろ?
みんな原っぱで喧嘩できなくなってさみしいのかも知れない。



posted by jagumi at 10:13| Comment(0) | 馬野ミキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月19日

ダミアン/馬野ミキ

なぜ知り合いの恋人とセックスしてはいけないのか?というタイトルではなく
なぜ友達の恋人とセックスしてはならないのか?というのがこのブログのタイトルだ
多分、知り合いの恋人とはセックスしてもいいのかも知れない(どうなんだろう・・)
なぜ友達だとだめなのか?
それは、友達(例えだとしても)を裏切るような奴は、これから俺や或いは社会に害を及ぼす行動をとる恐れがあるからかも知れない
そんな破天荒な奴は、道徳を盾に迫害しようというのが、暗黙の一般ルールかも知れない。

また、友達を裏切った二人がそれから一生幸福に暮らすようなことがあれば、
裏切られた方も一応かっこがついたりはするかも。
裏切られ甲斐があったというか、ああ俺が馬鹿だったな、というか。
そういう結果論的なところもある。
不道徳で常識知らずだと思っていた人間が、のちに時代を変える偉大な人物に変化を遂げる、というような物語はままあるように思う。

なぜ友達の恋人とセックスしてはいけないか?というテーマで重要なのは
友達とは何か?友達とは自分の人生にとって何か?というそれぞれの人の考え方が大いに関係する。
友達とは利用するためにあるもの、と思っている人と
友達こそ人生の財産だと思っている人では「なぜ友達の恋人とセックスしてはいけないか?」という議論は噛み合わないだろうし。
つまり、人生というものをその人がどう見ているのか、というところに関係してくるだろう。
友達とは利用するためにあるもの、と思っている人は幼い時に人に裏切られた経験があるのかも知れないな。
借金と共に父親が逃げ、助けてくれると思った人にひどい仕打ちを受けたのかもしれない。
がまぁ先天的な根っからの悪、
人を利用し他人を傷つけるプロみたいな人も70億人間がいると何人かはいるかも知れない。



posted by jagumi at 15:33| Comment(0) | 馬野ミキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月18日

ペンギン/馬野ミキ

恋人というのは一般的に一人である
結婚も一般的には一人の相手とする。
一夫多妻制やその逆も少数ではあるがそういう文化が残っている地域もあると聞く
多妻制は羨ましくもあるけれど、疲れるかなとか思う。
愛人と割りきってつきあうのが一番いいな
家族は家族で、他の方法では得ることの出来ない温かみがあるような気がする
まあ家族をちゃんと養って愛人を持つというのは、要領も甲斐性も必要だろうな。
政治家がたまに愛人問題で失脚することなんかがあるけれど別に愛人いいじゃないか、
だめならなんでだめだろうか?

ペンギンは一度付きあった異性とは一生別れないそうだ
さすが二足歩行で集会開いてるだけはある。

恋は、お互いを物語の主人公にさせる
たまに街でそういうカップルを見つけると、まあだいたい気持ち悪いが
俺もかつてそうだったろうし
39歳になってもまだそういう恋に恋がれている
恋は興奮するし、
お互いがお互いを世界で一番いとしい人と思うなんて、いつかその夢が醒めるにしろ素晴らしいことだよね。
無意識に恋をしようという力が働いているのか、三十代になってからはそれまでの人生になかった程女性問題で失敗を重ねた。
俺に女友達が少ないのは、すぐヤろうとするからである。
けれども女子のいう「遊びと本気」の定義はいまいちピンと来ない。
何か女性脳と男性脳のものの考え方の違いかもしれない。

以前、付き合っていた恋人に「お前よりいい女と出会ったらお前とは別れる」とか言って
「そんなこと言ったらもとも子もない」とか言われて、そのとおりだと思う。
それが仮に本当だとしても、言わなくていいよな
まあ喧嘩か何かのついでに、つい口を滑らせてしまった
お互いが100%正直であって、それでも成り立っていく恋人というのを夢みていた。
いや、実は今もそうだ。
でなくちゃたった1人の女に縛られる理由なんてないと思ってしまう。
恋なんてエゴとエゴのシーソーゲームだろうか
だとしたら、今すぐ俺が連続レイプ殺人犯にならないのはなぜだろう






posted by jagumi at 22:31| Comment(0) | 馬野ミキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

物語とSEX/馬野ミキ

風俗には数回行ったことがある
思い出そうと思えば数えられる程度。
まあ、お店の子には満足したありがとうという演技をして
行った後ほぼ落ち込んで1人で酒を飲むという
よくない客だ


罪悪感とか不貞を犯したとか俺何やってんだろう?とかそういう意識はない
そういう風にいい子というわけではない
じゃあ何だろうな

例えばコスプレって書いてあるのにすぐ脱いじゃうビデオというか今はDVDか、は腹立たしい
なんですぐ脱ぐんだよ
服を着てる君が見たかったのに。
グラビアなどを見ても、
放課後の教室で自分でスカートをめくって笑顔でこっちを見てる女の子とか
一体これはどういうシチュエーションでどういう物語を生きているのかが分からず、ネックを握る指先がが止まってしまうこともしばしばある。
まるでカメラマンの前で仕事をしてる君を見てるみたいだ。
仕事をしているという意味において、それは土方のおっさんやIDカードを首からぶら下げた証券マンと何ら変わりがない。
(普通、笑顔でスカートめくってこっちを見てる女なんて相当やばいと思う。別れるとか言ったら刺されるかも知れない。)
ああ、でも
ビシッとしたタイトスカート履いたOLなんかは、むしろ仕事しているからいいのか・・

ラブホテルは時間が決まっているから落ち着かない
ちんこがもっと落ち着かないからやむなくいく場合もあるが、
風俗のやるせなさも時間のなかで執り行わなければならないというところはとても大きい
限られた時間で執りおこなわれることと物語全体とのギャップを埋める作業
それが1人でしょぼくれて酒を飲む時間なのかも知れない
まあ今書いている俺の例は、あまり一般的ではないかも知れないな
パッと明るくセックスして、ああ気持ちよかった!ってすやすや寝れたらそれはそれでとても憧れる。

ラテンアメリカの若者とカラオケボックスの三人連れの違いは、その物語性かも知れない。

関係ないけど、蒼井そらは今中国でもっとも影響力のある日本人の1人になりつつある。
すごいよな。























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2012年09月16日

結婚しようよ/馬野ミキ

今の日本の離婚率が3割〜4割の間くらいだっただろうか
ダイアモンドが永遠に輝くのは誰のためにか
きっとそれは宝石商の為だろう。

俺は今39歳で、6年前に結婚しており5歳の息子がいる。
意識して子どもを産み、意識して結婚した。
もう次の女で結婚しようと決めていた。
なぜなら、留まるところなどないからだ。


この広い宇宙で、たった1人の男がたった1人の女を一生愛すると宣言することは素晴らしいことだと思う。
何よりロマンチックだし、人類が今まで生きてきたことを肯定する。という宣言だよねそれって。
まあたぶんそれは、ある種の無謀な船出だ。

俺は自分が嫌いな人間が結婚すると聞いても、やっぱりそれは祝福する気持ちが沸いてくる
それほど「愛」とかいう、わけのわからないものを貫くのは並大抵のことではないと感じるからで
3〜4割が離婚して、後の何割かは仮面夫婦でそれから
どれくらいのカップルが、私たちはこういう為に生きてきたという愛を貫き一生を共にするのだろうか。

週の半分は、離婚について考えてる
3歳、4歳は神の授けモノだった奇跡の子どもが、5歳になり単なるアホのガキに変わってきた
街、或いは子どもを送る保育園でさえ、
俺は保母さんや同じ送り迎えの奥さんの体を見て舌なめずりする
視姦で逮捕された例が大阪の西成であるので注意しなくてはいけない。

部屋の引き出しには、嫁さんが役所からもらってきた離婚届が5枚ある
なぜ5枚なのだろうか
嫁さんのパンツを毎日たたんでいる
嫁さんのパンツのほつれた糸や毛玉をとってゴミ箱に捨てる
何がロマンチックで、どこに永遠の輝きがあるのだろうか・・

俺は今39歳で、6年前に結婚しており5歳の息子がいる。
意識して子どもを産み、意識して結婚した。
もう次の女で結婚しようと決めていた。
なぜなら、留まるところなどないからだ。
俺は宇宙の広さに萎縮して身を投げたという自責の念がある。

でも少なくとも誰かと誰かは
永遠の愛をまっとうできますように、と思う。
俺は無理そうだが。
韓流スターとかAKB48に声援を贈るように
俺はこれから結婚するすべての君たちを声援を送りたい。
どうか君たちが永久の愛の道をたどりますように。
そしそういった祈りの時間のあとに
ワインと日本酒を一杯ずつ飲んで俺は多くのいい女とセックスしようと思う。






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ノガミのドサ健/馬野ミキ

いやあ結構なハイペースだよね
日刊のリアル対談なんておれらが著名人だったらこれ結構なギャラなわけだが、残念ながら著名ではないので黙って続けるとしよう。

友達、
友達とは何だ?みたいにここんとこ考えてて
誰は友達といえるか?じゃあ知り合いなのか?知り合いよりは濃いだろ?じゃあ何なのか?と考え巡らせていたが、
友達だの知り合いだの恋人だのという「言葉」は一種の「例え」のようなものかもしれない
例えば、俺と蛇口くんの関係は何なのか?
明らかに知り合いよりは完全に濃いだろう
友達?親友?というのも違う気もしなくもないが、少しピントがずれているような気がする
(まあこれは俺目線で、蛇口くん目線からはまた違うのかも知れないが)
仲間というのが一番近い気がするが
蛇口くんを誰かに紹介するときに「仲間の蛇口君です」とは紹介しないだろう。
つまり、知り合い、友達、親友、仲間、他人のなかに、本当は人を仕分ける必要はないし、
第三者に説明するときに「例え」として、知り合い、友達、仲間、親友、他人というカテゴリが出てくるのだろう。
俺のなかでは、蛇口くんは蛇口くんなのだ。

「いまの人だれ?」と問われて
「あの人はあの人なのだ」と答えるのはあまりにも哲学的なので
「ああ、知り合いだよ」とか「うん、大親友なんだ!」と答えるのが自然だろうな。

阿佐田哲也の麻雀放浪記にノガミのドサ健という、戦後のドサクサから成り上がったイケイケの雀士が出てくる。彼は自分以外の人間を「敵」と「手下」の二種類にしか分けない。ノガミ(上野のこと。上野を逆から背読む)のドサ健は、物語の最後まで主人公坊や哲に苦杯を舐めさせ続けた影の主人公である。これは俺が上にあげた一般論より、激情型でシンプルだ。


友達の恋人とセックスをする


この13文字の言葉を目にし、耳にし、口にし、いまキーボードに打つだけで
俺の感情は怒りの反応に動いたり
或いは刹那的でドラマティックだなと憧れたりする気持ちもあるが
ラテンアメリカの若者の会話を聞けば、とてもさわやかな青年たちだな一杯奢ろうかとも思うし
カラオケボックスの三人みたいなガキには、関わりたくないなと思う。


友達の恋人とセックスをする


この13文字の文章もある種の「例え」であるかも知れない。





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2012年09月15日

人類とSEXについて1/馬野ミキ

1 セックスは気持ちいい。

この単純明快な事実により、捨て子や虐待、強姦をはじめとする性犯罪といった多くの問題も
人間の社会のなかでの深刻な問題の1つにもなっている。
動植物やその他の生命はどうかしらないが、動物では育児放棄といったものも稀にあると聞く。

そして、
2 セックスをすると子どもが産まれる。

これはもう人間個人レベルではどうしようもない
ただ受け入れるしかない事実だ。
多くの人と性交したい
今すれ違ったあの人とヤりたい、というのはほんど正直な動物的な衝動であると思う。
(ただここは男女のSEX観の違いがありそうだが、ひとまずは俺自身の男目線で語るとする)
だが人間の文化は、SEXを子どもを作る為以外にも発展させてきたし
フェティシィズム、スカトロ、死体愛好など多種多様な性癖を育ててきた。
これは人間の持つ矛盾

3 子どもを産みたくないが、気持ちいいことをしたい。

が発展しきたものではないかと俺は考えている。






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2012年09月14日

「友達の恋人とセックス」を揺らす/馬野ミキ

「信じていたのに裏切られた」という言葉を恋愛系の話題ではよく耳にするが
それは信じていたというか
「勝手に期待していたがアテがはずれた」
ということじゃあないだろか。
「信じる」という言葉の良い響きに乗っかって、「自分は悪くない。あの人は悪いという。」と思い込みたいだけではないだろうか。
「信じる」ということは、そんなに簡単にあっちやこっちへ転がってしまうような安易なものなのだろうか。

(ここでウイスキーの小瓶を取り出す。炭酸を切らしているのでロックでいこう)

また、例えば「人生とは何か?」というような一見根本的で普遍的な問い
誰かが白木屋で「愛って一体なんんだろうね?」と俺に問いかけたとする
この命題に対するもっともよい切り返しは「誰の?」だと思う。
まあ、なるべくやさしい目で一呼吸二呼吸置いてからいってあげるとよいけれど。。
人類共通の根本的な問に対して、人類全体で答えをまとめなければならない理由など1つもないのだから。

と、「友達の恋人とセックスしてはいけないか?」というテーマをぶち上げながら
俺はこのテーマを否定している
いや、してない

では、友達とは何だろうか?
例えばそれが、自分が孤立しない為の数合わせになっている場合はないだろうか?
大人になって年をとれば、マイペースで過ごせる自分の時間、1人の時間というものの貴重さが分かってくるが
学生の人などは友達が多ければ多いほどそれがステータスになったりするのかも知れない
だが真剣に進路を悩んだりする場合、むしろ孤独な時間は必要だと思う
私は本当は何がしたいのか?
何を恐れているのか?
よい大学に入り・・
でもそもそも職業や経済って何?この社会って何なの?
進路相談員も塾の名物講師もあなたが本当は何をしたいのか、というところまではわからないしそこにはタッチしない
それは、たった一人きりの自分自身を頼るしかない。
よし、友達の定義を一つ見つけたぞ
友達とは、あなたが1人でいたいということを尊重してくれる人だ。

では恋人とは何だろうか?
これはまた同性の友人とは違い、なかなか難しそうだ。

つづく














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2012年09月13日

友達とは何か/馬野ミキ

小学生の頃は友達というか、近所にいた子とクラスメイトという感じのほうが近い気がする
自己というものが確立してこないと、そもそも仲良しの何が仲良しなのかもわからないと思う。
自分は多分、誰にでも心を許している少年ではなかったかも知れない
世界の意味がわからず、ただただ対応に追われていたような気がする。
いつも困っているので、いつ困っているのか自分で認識できないというか。
学生時代(高校一年までだが)の連れとは連絡を取っていないし、連絡先も知らないから
俺のなかで「友達」という概念が具体的に関わってくるのは東京に来て、路上で歌うようになってからではないか。
自分と同じような、地方にとどまっていることが出来ず、酒好きでその日暮しの、ライブハウスではなく新宿の路上で歌うことを選んだ仲間。
そうだな仲間だな、
友達とは違うのか?
路上のそういう狭い仲間のなかで誰が誰とつきあっただ別れただといったものはあったが
自分はあまり関与していなかった。
小さい輪の中でちんことまんこが行き交うのは、何かアニマルだなお前らという抵抗があったかも知れないし
まあただ単に特に好きな子がそこにいなかったのかもしれない
というか今思い出したら、友達?というか知り合いの彼女はくどいていたことがあったな ごく普通に。
これは三十代になってからだなたぶん。
それは口説いただけでSEXはなかったが。
後日「人の彼女くどかないでくださいヨー」みたいに笑いながら言われたことがあった
まあこそこそ隠れずに騙したりせずに、自分は誰々が好きだ!という正攻法は、特に恨みを買わなかったり
あるいは笑い話で済んでしまうものかも知れない。
友達の恋人とセックス〜以前に、今回「友達」というものについて考えてみようとしたが
自分は友達という意識やそいう物の考え方が希薄かも知れない。
基本俺たちは旅人であって、たまにキャンプ地で意気投合したり抱擁しあうようなこともあれど
結局俺たちは1人1人だ、というような考えがあるかも知れない。
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2012年09月12日

俺のセックス観 その1/馬野ミキ

5,6歳の頃に親のSEXを観た
酔っ払った父が正常位で母を犯していた
当時、母はいじめられているのだと思った

思春期になり、本屋でエロ本を買いオナニーするようになった
当時はパソコンがまだ普及していなかっので、もしかすると近所の人やクラスメイトにその現場を見られるかもしれないという、そういったリスクがあった
が、SEXは自分とはほど遠い関係ないものとして存在していた気がする
女性の実物のアレが映っている裏モノなどが悪友のなかで貸し借りされることがあったが
自分は女性器にまったく興味がなかった
むしろ、女性器とは恐ろしいものだと思っていた
高校をやめ、翌年上京した
バンドブームの波に乗っかりPUNKROCKをしに、東京に来た
髪をツンツンに立てて黒ずくめのファッションで社会に反抗している 
けど童貞
童貞。
というのがプライドにひっかかっていた
SEXをしたい、したくないというよりまず童貞を払拭せねば無軌道な十代の生き方とはいえないんじゃないだろうか
当時の俺はSEXをしたい、挿入だオメコだどうのこうのというよりも
愛されたい、自分を理解して欲しい、安心しておっぱいに抱かれたいという気持ちであったと思う
ただ当時はそういう気持ちに気づけなかったかもしれない
十代の頃はいまより、周囲への見栄が大きな比重をしめていたと思う
あきらかな反抗するのは、自分が社会的弱者であったからだろう。
俺の初体験はその翌年に池袋のヘルスで3秒で終わった
年上の風俗嬢に対し俺は、自分のプライドを守るのに必死であった。









posted by jagumi at 21:27| Comment(0) | 馬野ミキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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