2012年09月29日

夢/馬野ミキ

中学二年の時、ゲームデザイナーと歌手で迷って歌手になろうと決めた
歌うという行為には、単なる趣味、好き以上のものを感じていた
雑司が谷に住んでいた頃、雨になると近くの歩道橋の上に歌いに行った
大声で歌っても誰にも聞こえないからだ
パンクロックがただちに世界を変えはしないということをライブハウスで直感的に悟り
ライヒやフロムなどの現代社会に対する批判と革命運動について興味を持ち、池袋のリブロでニューサイエンスを少しかじったりした
思い込みが激しく自信に満ち溢れ理想家で、けれど打たれ弱く、言い訳がましく、甘ったれていたと思う
空想と依存癖
まあ今でも多少そうか。

性格的にバンドか組めず、池袋東口でべろべろに酔っ払いながらフォークギターを持ち路上歌手デビューした
プライドが高いので通行人にほぼ無視され続ける路上の歌歌いの生活は厳しかったが
同じように地方であぶれ東京に出てきた音楽仲間と出会ったり
バブルの頃は一日5000円くらいの稼ぎがあったのでもう仕事を辞め歌だけで暮らせた
今はタクシーが溜まっているところには以前公園があり、路上で暮らしながら投げ銭を銀行に貯金してたりしてた
路上と音楽と酒の日々だった
新宿のコマ前で9万稼いだこともある
新宿に行けば知った顔が必ずいる そういう時代があった
ああいうその日暮らしの旅人のような生活は今でも憧れるな
ギターを持って世界を気ままに旅できたら楽しいだろう
その後、禅やタオ、ニューエイジ思想にハマりながら、ブルースからJAZZ、沖縄民謡へと音楽の幅も広げた
東中野の俺の家には新宿で知り合った家出少年たちが住み着いたりしていた
俺は部屋に鍵をかけなかった

今でも夢は、世界を変えること
無職のおっさんが「夢は世界を変えること」とか言うとホント怪しいので、(幸か不幸か俺にはそいう客観性はある)まあ10年後の日本の自殺者の数を下げるでもいいよ、なんでもいいんだよ 自分の存在に見合うことをガツンと咲かすことできれば。



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2012年09月28日

雑司が谷霊園/馬野ミキ

池袋を東口から出て大通りをまっすぐ護国寺方面へ15分ほど歩き
都電荒川線に沿って右手に歩いてくと雑司が谷霊園という巨大な墓地がある
夏目漱石や小泉八雲、竹久夢二なんかも眠ってる
そこで数ヶ月前、夏がくる前くらいだっただろうか
蛇口くんと待ち合わせをした
熊谷くんだりから東京に出てくる際にはそうしてたまに連絡をくれる。

蛇口くんはマントをはおって映画の撮影をしていた
広野くんの活弁映画にまた出るのかなと思ったら違って
早稲田のカフェバー主催の自主映画に主演で出るのだという。
蛇口くんはマントをなびかせ、墓地を飛んだり跳ねたりしていた
俺は墓場の影でパック酒を飲んでそれを見ていた
近所の人たちが犬を連れて散歩したりジョギングしたりしている
墓場ではあるが、文化人や芸術家が多く眠っているせいかこういった撮影にも寛容らしい
俺も飛び入りで土木作業員の役で出演した
それから二人で昼から飲める酒場へと西口に向かって歩いた


16で上京した時、雑司が谷に住んでいた
都電のホームのすぐ横
3畳二間という変わった間取り
ねずみが出て、ねずみホイホイを仕掛けたら蛆が湧いたりした
今は駐車場になっているな 大家さんは元気だろうか。

時はバンドブームで、いわゆる歌謡曲がチャートから追い出され
その後J-POPという訳の分からない言葉で音楽業界が再編されるまで
俺も一人の若者としてそのムーブメントの中心にいたような気がしたが
たよってきた東京のバンドを脱退し
シンナーを吸ってライブハウスへ行き
ライプハウスのパンクバンドは居酒屋で女としゃべってセックスしてるだけじゃないのかと
どうやったら本当に世界が変わるだろうかと
友達を作ることもなく
一人ぼっちに、明け暮れた。
日比谷野音でライブをやった後に国会議事堂を包囲するルートを調べたり
空想の競馬新聞を作り、空想の競走馬を競わせたりしていた

東京はまだ今より大きく
とても俺の手に負えるようなものではなかったと思う
思い込みと被害妄想と社会に対する怒りと理由のない自信、そういうものがごった煮になり攻めぎ合っていた
バイトは転々としたが当時は無職という発想が無く、よくがんばったなと思う
もちろん常に職場には多大な迷惑をかけたが・・
4月に上京し、9月に新宿で銃刀法で逮捕された
俺はナイフを持っていた
背中に自筆の文字で反米愛国と書いといたので駅構内で職務質問されたのだ
俺は留置場で小山ゆうの漫画を読んだ
逮捕されると、もうがんばらなくていいので気が楽になった。
















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米子、倉吉、東京/馬野ミキ

当時、米子の大学病院に一ヶ月半試験入院した
一緒に来た母は閉鎖病棟の雰囲気と隔離された部屋から聞こえる雄叫びに、困惑を隠せなかったが俺はうまくやれる自信があったし何より母の元から離れられる喜びが大きかった
中庭にはギターを弾く青年がいたし、俺も人差しでオルガンを弾いたりした
許可さえ貰えれば外出できたので市営球場に忍び込んでピッチャーマウンドに立ったりした
脳内から歓声が聞こえる
俺は甲子園を期待されるエースだ。
ホームページのファンだという人が見舞いに来たりした
病院の裏にある水鳥公園でガチョウが俺の膝にくちばしをのせてきたのは奇跡的な出来事だった
そこのガチョウ、こっちに来てくちばしを俺にのせてくれ、と頭で命じたらガチョウがそうしたので少し涙が出た
ガチョウは30秒くらい俺の膝にくちばしをのせていた
俺はガチョウを驚かさないように座ったまま静止していた。

退院し、倉吉に戻りRちゃんという小中の同級生とつきあった
つきあったというか、Rちゃんは結婚のために東京での仕事を辞め帰郷しているところだった
一ヶ月後かに九州に嫁ぎに行くという
嫁ぎに行くまでの間、俺たちはヤりまくった
近くの高校に忍び込んでやったり母の目を盗んでやったり鳥取砂丘の近くでやったりした 
Rちゃんは結婚前に何をしていているんだろうか

でも、結婚前の友達とセックスをする。これはなかなかいいかも知れない。
情緒がある
青春映画っぽいな。

それから半年か一年、自分はオンラインゲームに明け暮れ
そのゲームで得た財産を現金に換金した25,000円だけ持って四度目の上京を果たし
その半年後には、はじめての詩の朗読会を主催することになる。





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2012年09月27日

倉吉、高円寺/馬野ミキ

鳥取県の中部に倉吉市はある
そこで小学一年から上京する16歳までと
東京での暮らしに挫折し帰郷した数年を暮らした。
高円寺で覚せい剤をやりながら当時同棲していた彼女に生活費をすべて出してもらっていた
天国のような暮らしだったし、一番好きな女の子だった
だが俺は、歌を歌わなくなった

彼女が足立区の実家に帰るようになり俺は日銭を郵便局の口座に送ってもらうような生活をしていた
彼女は高円寺に帰ってこないだろうと思った
乞食になるべきか自殺すべきか
もし路上で生活するならここに住もうと決めていたところが新宿東口にあった
そこに下見に行った
(今現在もここはとっておきの新宿の隠れ家である。読者の方で見てみたいという方がおれればいつか案内しよう)
夜の建築現場を見つめる
あそこから俺は飛び降りられるだろうか


俺は乞食も自殺も出来ず、田舎に帰ることに決めた
人生ではじめての敗北であった


さんざんわがままを言って東京へ行った手前、帰ってすぐに職を見つけ働いた
工場での機械オペレーターだ
シフト制で月の半分は12時間勤務だった
夜中に一人でいる時は機械を蹴ったりして半年でやめた

当時の救いはインターネットであった
ウインドウズ98が出た頃で俺はホームページを作り、チャットをし、オンラインゲームにのめりこんだ
なにぶん田舎のなもので、いい大人が仕事もしないで家にいるというのは相当風当たりがきつかった
近所の人の目を盗んでコンビニに行く そういう感じ
(このあたり東京の無関心さはとても楽だ)
ちなみにいまの嫁さんは、当時俺が作っていたホームページのファンであった

薬を過剰に摂取し救急車で運ばれたり
沖縄のペンションにバイトに出かけ部屋でマジックマッシュルームをやり一日で帰ってきたり
倉吉駅でワンカップを叩き割り駅前交番のおまわりさんに抱えられたのはこの頃だ。
当時、パソコンのエロフォルダには青木裕子や酒井若菜、優香などがあった。
画像をダウンロードし、名前をつけて保存することによって1つのケリをつけていた。









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2012年09月26日

新宿西口/馬野ミキ

昨日、病院の帰りに新宿西口に寄ったら
5時から自民党の総裁選の為の演説があるらしく
たくさんの警察官、たくさんの黒い服の男たち、候補者ののぼりが風にゆらめき物々しい雰囲気だった
俺はいつもの煙草を吸う場所が立入禁止になっていたので少しいらっとした
何人かの警官や黒いスーツの男と目が合う
たぶん俺が見ているからだろう
あわせて、坊主頭で上下作業着なので少しは怪しいかもしれない
愛国一人
という言葉が浮かんだ
三島由紀夫はどんな気持ちで市ヶ谷に行っただろう
東京モード学園は何を発信するか

行き交う人々
群衆と警官たち
拡声器の声だけが無機質に新宿に広がり
風景がぼやけていく
俺は一人で
心臓が高鳴ってる
俺はポケットにいまナイフを持っていて
これから総裁候補を刺しにいくのかもしれない
むしゃくしゃしてやった
意味不明な供述をしている
犯人は精神科通院中だった、と週刊誌に書かれるのかも知れない

おれはポケットを確かめる
ナイフは無い
そりゃそうだ。

俺は京王デパートのわきを抜け大江戸線へ向かった
後ろを歩いているやつに尾行されてる気分だ
でもねただ、保育園に子どもを迎えにいくだけなんだよ






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2012年09月25日

なぜ友達の恋人とセックスしてはいけないのか?/馬野ミキ

なぜ友達の恋人とセックスしてはいけないのか?

そんなこたぁ知らない
なぜなぜなぜなぜって3歳児じゃねーんだから知るかと
勝手に生きろと
俺もそうする。
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2012年09月24日

著者近影/馬野ミキ

この連載をはじめてからオナニーがやりずらくなった
なんだか同じパソコンに向かって俺は随分馬鹿げている気がする
手品と種明かしを同時にやってみせているみたいだ

なぜ俺はすべての性欲を嫁さんにぶつけないのか
そのあたりがなんだか不甲斐ない気がする
実は結婚した当初は、すべての性欲を嫁さんにぶつけていたし、ぶつけようとしていた
ちんこを持ちながら嫁さんの帰りを玄関で待っこともあった
裏表なく統合したかったのだ
裏表なくしては社会で生きていけないのだが俺はそれに挑戦していた
だが俺は戦いに敗れ
エロいおっさんに成り下がった
なんて非生産的なエロ同人を独り身の中に燃やしているんだろうか


ちんこもまたエネルギーである
男、ひいては社会を突き動かす中心的なエネルギーだ
俺のエネルギーの使い方は現在、間違っている
俺は間違っている
無職で、ネットゲームで相手を殺そうと思っているのでたぶん間違っている
うっとおしくも救いであるのが、子どもの笑顔だ
かつて俺が道化的な立ち回りで父と母をつなごうとしたように
すさんだ俺がメーターを振り切ったり、バランスを崩さないでいるのは子どもがいるからだ。






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善悪の彼方/馬野ミキ

人の道を歩むことは苦難だが価値のあることだ
だが人間には人の道を外れることが必要なこともある
より人間のようになる為に。
だがそもそも人間とは何であろうか
最近はその範疇が曖昧になってきている気がする
俺もわからない
サイコパスに明るい未来はあるだろうか

身体障害者が母にオナニーを手伝ってもらう
二人は性欲を処理した後、坂道を昇って西友に向かう
蜃気楼のような太陽が坂の上で揺れているとして。





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2012年09月23日

セックスに至る障害/馬野ミキ

ただ男と女がパンツを脱いで棒を穴に入れる、こんなに単純明快なことの為に
人はもがいたり苦しんだりする。
人類が誕生して今もなおセックスは、人間にとっての1つのメインテーマである。
同性愛とか性不一致障害なんていうのも最近ではテレビなどで特集が組まれたりするほどポピュラーなものになり、まるで神と人間の戦いみたいだ

もう十五年も前か、サンシャイン通りの雑居ビルの屋上にあったファッションヘルスでボーイをしていた頃、
すごい体臭を放つお客さんがいた
お店のリーダー格の女の子が相手をし
お客さんが帰ってから彼女はさんざん愚痴をこぼしたが、それでもお客さんの前では誠心誠意のサービスで務めたので立派だと思う
お客さんの履いたスリッパの匂いを嗅いで俺も吐きそうになるくらいだった
けど、そういう体臭の人もいるよね
彼にとって恋人の存在は縁遠いものだろうということが容易に想像できる
自分が存在しているだけで、まわりに迷惑をかけてしまうなんて。
彼にとって友達や恋人やセックスと何だっただろう。
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2012年09月21日

恋人について/馬野ミキ

はじめて女の子とつかあったのはいつだろう?
小6の時に交換日記してた
あれはつきあったとかそういうのとはまた微妙かもしれん
二人でデートもしないし。
この頃は女子のほうがかなりませているからな、二人きりになったら多分困っただろう。
中学の時に、キャンプで知り合った他校の女の子とつきあった
だが何もせずに手紙を書いて別れた
よく分からなかった
高校に入り他校の子と紹介でつきあったが何もせずすぐ電話で別れた
その後なぜかその子がかわいそうだと泣いたりした
また一こ下の子のヤンキーっ子と二こしたのヤンキーって子と付き合った
肩を抱いたりみんなで酒を飲みキスをしたりしたがすぐふられたりした
俺が東京に出て追いかけてきた子がいた
当時その子は女子高生で親が元警視庁とかで捜索願が出されホテルを転々とした後、新聞配達の寮に入った
ワケありをかくまってくれるということだったが逃げ出し、結局自分たちで自主的に田舎に帰った
この子とは一緒に寝ることがあったが結局挿入はしなかった
十代の俺は女性器に対する恐れがあった
それから彼女と会うことはなかった。

十代の恋は、恋人がいる、つきあうということがかっこいい、イケているという感覚だったかも知れない
好きかどうかとかよくわからないな
けど簡単にヤキモチを焼いて怒ってみせたりするという、恋人ごっこかもしれん
交換日記をしてた子は好きだったけど。
今思うとかなりテキトーだし、よくこんなに付き合えたなと思う。
十代の頃、悪ぶっているとそういうのはブームかも知れない 流行かも 俺は恋人がいるぜ!みたいな。
自分というものが定まってないんだから、何が好きかもわからない。
十代の頃、俺が本当に求めていたものは理解者だったと思う
自分が心の奥で思っていることをしゃべって通じ合える仲間
しかし当時はそういう事実にさえ気づけなかったかもしれないな
ただ汗をかいて右往左往し、自分を取り繕っていたのかもしれん。

二十代になり、もうすこしましな恋をするようになった
それは学校や地域の結びつきではなく、自分がしたいこと(当時は音楽で池袋や新宿の路上で歌うようになった)をして出会った、結びついた恋だからかも知れない。
二十代でつきあった恋人は、俺の歌に特別なものを感じていたり或いはいがいに物事をちゃんと考えていることに共鳴してくれたり、そういうのだったと思う。
こう考えると、一生もんの友達や恋人を見つけるにはどうしたらいいかというと、自分が本当に好きなことをするということに思える。
最初だけかっこつけたって、一緒に暮らすようになったら薄いメッキなんかすぐはがれるからな。

今はネットの普及で、地域や学校を飛び越えて趣味や価値観のあう人にあえる
望めば海外の人にだってコンタクトをとることができる
地球は出会い系の星だと思う
失敗して乗り越えて、みんなーどんどん出会おう!



posted by jagumi at 16:11| Comment(0) | 馬野ミキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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