2012年10月04日

詩の朗読会とオープンマイク/馬野ミキ

ぼくと蛇口くんは詩の朗読会で知り合った
詩の朗読会というと皆さんはどんなイメージだろうか?

昨日は池袋で毎月開催されているというオープンマイクに出かけた
オープンマイクというのは、基本的に誰でも出演できる朗読会?という感じ
持ち時間が5分とか10分とかあってね
朗読会?とはてなをつけたのは、まあいわゆる一般にイメージする詩の朗読といった感じ以外にも
ちょっとしたアコースティックな楽器を使う人がいたり、
昨日だったらラッパーがいたりした
それぞれの朗読会の性格や雰囲気にもよるだろうが、わりとゆるく自由にやらせてもらえるのではないか。
特にスポークンワーズという場合、声と言葉なら縛りなし演説でも一人芝居でもアカペラでもOKという感じだろうが、ポエトリーリーディングとかオープンマイクという言葉さえ一般には普及していないし
なんかカタカナばっかなので自分はまとめて「詩の朗読」と呼んでいる。
ジャンルを細分化させるよりも、詩というものを拡大解釈していったほうがいいんじゃないかなって思ってる。あと昭和の男なのであんまりカタカナばっか喋るのが恥ずかしいんだよな。

人間がいろいろいるように、その詩や朗読のスタイルや方向性は様々だ
私は朗読はむかない、という人もいる テキスト命ですみたいな。
声が伴ってはじめて作品が成り立つんです という人もいた
が、この時代に詩をやろうなんていう人は、まじめでやさしい人が多いかもしれない。
あとエゴは強めかもな、んー、何を書こうとしたか忘れた。。

ま、素人のカラオケ以下みたいな場面に遭遇することもある
なんでこんな空間のためにお金を払わなければならないのかと憤慨することもある(まあ自分は短気で好みが激しいのかも知れないが・・)
が、この現代社会において
大の大人が、自分の言葉だけを頼りに自己を通した世界に向き合うというのは
稀であり貴重な時間だと思う。
言葉を使って伝えるには、考えなければならない。

人間が動物と違うのは、「考える」ということによってのみではないだろうか。
(人間は空腹で目の前に食べ物があっても、食べないでいることができる)
ヒトが知恵のりんごを食べて、賢くなったんだか臆病になったんだが知らないが、それでも現実を打破しよりよい未来をつくろうとするのなら「考える」ことが必要だ
そしてそれを誰かに伝えるのは言葉だ。
俺は本能的で自己中心的な人間だが、それでもその自分を社会の一員としての椅子に座らせ、なだめ納得させ落ち着かせていくものは俺の考えと言葉だ。







posted by jagumi at 15:27| Comment(0) | 馬野ミキ | 更新情報をチェックする
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