2012年09月20日

分岐点の彼女/蛇口

大学生のときは俺も周囲の友達も幼稚だった
クラスの主流の目立ったグループではなく、そこから弾き出された余りもので俺たちは構成されていた
主流じゃない俺たちは非モテで彼女がいなかった
だから当時は
なぜ友達の恋人とセックスしてはいけないのか?
という問い掛けも成立しなかった
自分を含め友達の誰にも恋人がいないのだから
友達の恋人とセックスしようがない
そんな友達に気になる女性ができると
どうしたらその娘と付き合えるかみんなであーでもないこーでもないとファミレスで戦略会議を開いた
そんなことに時間を割いていないでとっとと彼女にそいつが告白してみればいいだけの話なのに
幼く馬鹿で童貞の集団
それが俺の社会だった
その中で多少社交性のあった俺にたまに女性たちが手を差し延べてくれた
それは手に余る欲望だった
当時の俺にとって
大学時代、京都に下宿していた俺の部屋に知り合いの女性が来たが、大学の友達を呼んでしまい、ぶち壊しにした
一緒に名古屋に泊まりで遊びに行ったガールフレンドは途中で構うのが面倒になってそのまま放置した
京都と東京で遠距離恋愛という流れもあったが渋谷のラブホで何もせずに先に寝てしまい、結果その娘にフラれてしまった
あの時、渋谷のラブホでちゃんとセックスしていれば今頃俺はまったく違う人生を歩んでいたかもしれない
そう思うとやり切れなくなる
なによりもあの夜の彼女に申し訳ない
私脚太いけど大丈夫?とか言ってくれていたのに
あの頃、女性たちをないがしろにしてきた報いで今俺はこの暗黒時代を過ごしているのかもしれない

セックスしたいときに君はもういない
二度と戻らない
posted by jagumi at 20:41| Comment(0) | 蛇口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

十代の頃の友達/馬野ミキ

十代の頃「なぜ友達の恋人とセックスしてはいけないのか?」という問いを出されても
俺はたぶんピンとこなかったと思う
セックスを避けていたところがあったし、友達の概念があいまいだった
自分と世界の関係性がまだ定まっていない十代の頃というのは、世間や周りの影響をむきだしの感性でモロに受け、正直いろいろなことがよくわからないのである。
分からないということは、恥ずかしいことではなく成長途上故に未定義なのだ。
分からないということは、可能性の幅を広げている時期だとも言える。
十代の頃「なぜ友達の恋人とセックスしてはいけないのか?」と問われて
ただ何となくそれは悪いことであるという風潮は感じ取っていたかも知れない
ただそれは自分の意見というわけではなく、週刊少年ジャンプに描かれていることを鵜呑みにしたか
社会を牛耳っていた大人たちの意見を感じて見習ったに過ぎない。

大学はまた別として、中学や高校の友達というのは
ものの考え方や世界観で集まったグループではなく
ただそこに住んでいる地域の同い年の奴が寄り集まっているというだけなので
親友というものができなくても心配することはない。
十代の子に告げよう。友達がいなくても恥じることはない。
自分は割りと友達はいたほうだと思うが、それでも東京に出てきて
志や目的意識、或いは魂や存在そのものというようなところで共鳴しあう友達ができ始めると
学校に行っていた頃遊んでいた友達というものは、何だったのだろうかと思う。
自分が当時知っていた世界のなかでの、比較的に気のあった奴ら、といった感じかも知れないな
それでも価値観や趣味がまったく合ってないのに一緒につるめるというのは、大人になってからはそうそう無いことなので貴重だったのかもなとか今思った。

蛇口君が以前SNS、ソーシャルネットワークについて言及していたことがあったが
ツイッターとかあれ、つぶやきとか言いながらみんなに読んで欲しいとか厚かましいよな
あきらかに独り言じゃないだろ?
みんな原っぱで喧嘩できなくなってさみしいのかも知れない。



posted by jagumi at 10:13| Comment(0) | 馬野ミキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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