2012年09月14日

対岸の恋人/蛇口

タイトルを忘れたが、昔ラテンアメリカ映画を観ていたら若者二人がどちらもお互いの恋人と寝たと告白するシーンがあった
「俺も寝たよ、お前の恋人と」
「この野郎」と言いながら二人は笑い合う
恋人と言っても今たまたまよくセックスしている異性なんだろうという感じだった
そんな認識
二人とも

恋人という意味に無頓着ならば
その地位を軽んじることに躊躇は無いだろう
ラテンアメリカの若者のように

それもわかる

またすべての顔見知りに対して友達と感じることがなければ
そもそも
友達の恋人という概念は欠落しているのだから
周囲にあいつの彼女と寝ただろ、この野郎と問い詰められても
それが何か?となるだろう

そういったやりとりが面倒な時期があってもっぱら風俗に通っていた
日本には通りすがりの恋人がたくさんいる
主に男にとっての

風俗には恋人プレイという言葉がある
他の先進国の娼婦は股ぐらを貸すだけで、絶対にキスしたりイチャイチャしたりしない
恋人みたいに接する日本は特殊なセックス産業の国だ
風俗の数だけ恋人たちがいたりする
瞬間の恋人

本物?との違いを述べよ

恋人とは何だろう?

つづく
posted by jagumi at 14:11| Comment(0) | 蛇口 | 更新情報をチェックする

「友達の恋人とセックス」を揺らす/馬野ミキ

「信じていたのに裏切られた」という言葉を恋愛系の話題ではよく耳にするが
それは信じていたというか
「勝手に期待していたがアテがはずれた」
ということじゃあないだろか。
「信じる」という言葉の良い響きに乗っかって、「自分は悪くない。あの人は悪いという。」と思い込みたいだけではないだろうか。
「信じる」ということは、そんなに簡単にあっちやこっちへ転がってしまうような安易なものなのだろうか。

(ここでウイスキーの小瓶を取り出す。炭酸を切らしているのでロックでいこう)

また、例えば「人生とは何か?」というような一見根本的で普遍的な問い
誰かが白木屋で「愛って一体なんんだろうね?」と俺に問いかけたとする
この命題に対するもっともよい切り返しは「誰の?」だと思う。
まあ、なるべくやさしい目で一呼吸二呼吸置いてからいってあげるとよいけれど。。
人類共通の根本的な問に対して、人類全体で答えをまとめなければならない理由など1つもないのだから。

と、「友達の恋人とセックスしてはいけないか?」というテーマをぶち上げながら
俺はこのテーマを否定している
いや、してない

では、友達とは何だろうか?
例えばそれが、自分が孤立しない為の数合わせになっている場合はないだろうか?
大人になって年をとれば、マイペースで過ごせる自分の時間、1人の時間というものの貴重さが分かってくるが
学生の人などは友達が多ければ多いほどそれがステータスになったりするのかも知れない
だが真剣に進路を悩んだりする場合、むしろ孤独な時間は必要だと思う
私は本当は何がしたいのか?
何を恐れているのか?
よい大学に入り・・
でもそもそも職業や経済って何?この社会って何なの?
進路相談員も塾の名物講師もあなたが本当は何をしたいのか、というところまではわからないしそこにはタッチしない
それは、たった一人きりの自分自身を頼るしかない。
よし、友達の定義を一つ見つけたぞ
友達とは、あなたが1人でいたいということを尊重してくれる人だ。

では恋人とは何だろうか?
これはまた同性の友人とは違い、なかなか難しそうだ。

つづく














posted by jagumi at 03:31| Comment(0) | 馬野ミキ | 更新情報をチェックする

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